広島の二大学

広島は、戦前鎮西鎮台の第一分営(後の広島鎮台、第五師団)を置き、宇品港が

あり日清戦争の兵士を送る最前線基地であったことから軍都と呼ばれていた。

その一方で広島に第二の官立高等師範が設置されて学都ととも言われていた。

その広島高等師範学校は現在の広島大学の教育学部にあたる教育機関である。
戦後に広島高師が合流した広島大学の源流自体は市制施行前の明治七年に広島
白島に存在した白島学校(後の広島師範学校)であり、その大元を辿れば広島藩
の藩校「修道館」にあたるという。このサイトを見ている方にとってみれば、

この修道という言葉を必ずどこかで見たり聞いたりしたことがあるであろう。

私達の活動拠点で大学の名前である広島修道大学の「修道」の二文字である。

意外なことに広島大学と広島修道大学は同じ教育機関からできた大学である。
(広島大学は広島の8つの教育機関が統合していったため一概には言えない。)

私達の大学である広島修道大学は源流は享保十年。広島藩五代藩主浅野吉長が
創始した藩校講学所が源流とされ、この講学所が改称されて「修道館」という
名前に変更されている。(とは言え修道大学の前身の広島商科大学は戦後設立)

では、広島修道大学の「修道」という単語はどこから来たものなのだろうか?


「天命之謂性 率性之謂道 修道之謂教」

天の命ずるこれを性といい、性に率うこれを道といい、道を修めるこれを教えという

人間にはそれぞれの天性がある。
天性を伸ばすのが人間の道である。
その道をしっかりとしたものに整えるのが教育である。

出典: 『中庸』 第一章第一文より
読み・解説:広島修道大学 建学の精神より


「修道」の二字は四書の一つ『中庸』第一章第一文から採られたものである。
そして、私たち修心叶はこの「修道」の二字の「修」の字を採り、「修心叶」
一番最初の投稿である『開く』という投稿に「修」「心」「叶」の単体の意味
を記述している。この投稿やポリシーを踏まえてサークルの名前を説くと……

「自身の心を整え、願ったものを叶えるように行動する」

と言ったところだろうか?これはあくまでも縹一個人の考えであり、この名前
の解釈は全て受け取る人が自由に解するものだと思っていますのでご自由に。

参照:『開く』(https://shushinsho.themedia.jp/posts/5288614)

左が広島修道大学の学章にあたるもの 右が広島大学の学章(HPより借用)

ここまで長々と広島修道大学と広島大学の源流は同じであったことと「修道」
という名前の由来とそれを受けて「修心叶」の名前と意味解釈を書いて来た。

ここまで長文を書いたのも久々である。あと、十九日も経てば修心叶は一周年
を迎えることになる。広大神輝抄の創設者のつーほんさんから代替わりをして
四か月が経つことになる。この二つの大学は明治時代に遡って同じ教育機関を
元とする大学で東方サークルとして末永く仲良く交流をしていきたいものだ。

今日は東千田公園と観音のマリーナホップにでも散歩に行ってみようか……。

written by 縹藍

Touhou Shu Shin Sho

東方修心叶は、 広島修道大学を拠点とする非公認の大学東方サークルです。 Touhou Shu Shin Sho is a non-certified Touhou Project Club in University based in Hiroshima Shudo University.

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